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自己紹介ブログ2【音楽との出会い編】

HIPHOPとの出会い

未だに、なぜあのとき「野球部を辞める」とコーチに言ったのか分からない。

しかしそのことを全く後悔はしていない。なぜならこれから執筆する数々の出来事が

僕の人生にとって最も大きな影響を持っているからだ。

高校2年のある日の下校中、友人が電車の中でCampasノートを広げ

イヤフォンを耳に装着し、リズムを取りながら、文章を綴っていた。

バシヒデ
何してんの?

と僕が尋ねると。友人は

「ラップ」

と一言だけ言いイヤフォンを装着し、再びリズムを取りはじめ、ぶつくさ言っていた。

それが僕のHIPHOPとの初めての出会いだった。

【日本語ラップ】

次の日、昨日電車の中で、「ラップ」をしていた友人に話しかけると

2枚のアルバムを貸してくれた。

1枚は、BUDDHA BRANDの人間発電所

もう一枚は、YOU THE ROCK★のTHE SOUNDTRACK '96

だった。僕は家に帰って、早速CDを再生したのだが

物凄く格好良いトラックと、今まで聞いたこともないような歌が

高校生だった僕の心に、響き浸透していった。

日本語ラップの虜になるまで、全く時間はかからなかった。

【様々なアーティストを知った】

日本語ラップを好きになった僕は、今まで聴いていた売筋系の

J-POPは完全に聴かなくなっていた

当時は今と違い情報量は、極めて少ない時代だったので

日本語ラップを知るために、必死になって雑誌を見たり

当時僕の家にはAIWAの、当時1万円もしないレコードプレーヤーがあったので

横浜西口にあったHMVなどに、レコードを探しに行っては、最新のHiphopを入手していた。

そしてキングギドラや、マイクロフォンペイジャー、ライムスター、Boy-Ken

シャカゾンビ、ソウルスクリーム等の存在を知り彼らに増々没頭した。

【そしてラッパーに】

CDを貸してくれたラッパーの友人を見て、かっこいいなぁって思っていた。

そして「俺もやってみよう」と思って、ノートを買ってリリックを書き始めた。

そしたら中学の時の同級生が、近くの高校に通っていて、帰り道に偶然駅で会ったとき

「DJやってるんだ」って言い聞かされて、彼と遊ぶようになった。

DJめだかとMC金魚って名前で、ユニット組んでそいつん家で

しょっちゅう練習するようになった。今思うとあの時、楽しかったなぁ😁

その内に横須賀や横浜で、活動している同世代のB-Boy達との

和がどんどん大きくなっていった。

【月2回はクラブでお勉強】

自称ラッパーとして活動していた高校生時代

やはり本物を観ることが、百聞一見にしかずって事で

渋谷のクラブにZeebra氏や雷家族のLiveを観に行っていた。

当時は渋谷の、Clubasiaによく行っていた。

遊びに行くというよりは、プロのラッパーのライブパフォーマンスを勉強していた。

しかし当時から雷家族等は、超人気でクラブ内は、身動きも取れず人でパンパン

二酸化炭素が充満して、ライターの火も着かない

飲み物も買いに行ける状態ではなく、隣りにいる知らない人に

水をもらったり、あげたりしていた。そんな日が月に2〜3回、

多いときは毎週末出かける月もあった。

【ラッパーデビュー】

チェケラッチョ!よー!
キャーカッコいい(*˘︶˘*).。.:*♡

僕が高校生の頃は、バイカーが流行っていた。

主にアメリカンバイクに乗る人が多かった。

暴走族が激減していった時代で、不良といえばチーマーだった。

チーマーの人たちはやたらとパーティーが好きで、

パー券とかいう言葉も流行っていた。ラップなどをしていると

その筋の情報も自然と入ってくる。

僕が初めて大勢の人の前で、ラップを歌ったのは、高校3年生の頃だった。

横浜のCRIBというダイニングバーで、なんのイベントだったか分からないが

招待されてGUSTラッパーとして参加した。

【野球部員に認められた】

自分でも不思議に思う。

甲子園、そしてプロ野球選手を目指していたはずの僕が、まさかラッパーに。

野球部を退部した当初、野球部の連中を避けて、後ろめたい気持ちで

高校生活を送っていた。横浜高には体育コースというクラスがあって

そのクラスには運動関係で推薦入学した強者達がいたのだが

僕はそのクラスの前を避けて、自分のクラスに行くなどしていた。

ラップを初めて1年位経ち、Liveも何度か行っていた頃

野球部員の一人と廊下ですれ違った時だった、

「お前ラップ頑張ってんだって、すげえじゃん」って言ってきたのだ。

バシヒデ
う、うん。まぁな。

その時は両親に褒められるよりも嬉しい気持ちだったことを未だに忘れない。

Reggaeの歌い手へ転身

ある日、いつものように友人の家でラップの練習をしていると

Reggaeのセレクター(レコード掛ける人)やってる奴がやってきて(友人と同じ高校)

仲良くなった。そしてこのオケで歌える?って感じで日本語レゲエで使用していた

トラックを掛けてきた。リズムのとり方が若干Hiphopとは異なるReggae

あのときは4つ打ちのDanceHall系の、Riddimだったと記憶していて

(レゲエの場合トラックとはあまり言わず空のオケのことをRiddimという)

全くリズムが取れず歌えなかったのだが、後にテープ録音させてもらって

家で練習したり、そのRiddimに合わせたリリックを書いたりしてたら

Reggaeって面白いじゃんってなり、知らず知らずの内にReggae にのめり込んでいった。

【憧れの地へ音楽修業】

20歳の頃、横浜のとあるBarに行ったときの事。

僕にReggaeを教えてくれたセレクターの友人.Kと、もう一人で

集っていた。因みにだが、その内のもう一人は

まぁ誰もが知るReggaeMusician.Hである。

家も隣町だったので、音楽を通じてよく交流していた。

その3人でJamaicaに音楽修業に行かないかみたいな話になった。

そしてその何ヶ月後だったか、渡ジャマする日がやってきた。

海外は専門学校時代に、一度アメリカに研修で行ったことがある位で

経験は殆どなかった。ましてやJamaicaなど全く知らない国だった。

【ブルックリンの格安ホテル】

Jamaicaへは3週間位の旅の予定で成田空港を出発した。

その内の確か3日間だったかな、NewYorkに寄るというプランだった。

友人の友人.YがNew Yorkに住んでいるということで、その家に宿泊する予定だったのだが

急遽それがキャンセルになり、Y.に紹介してもらった

ブルックリンの超格安ホテルに、泊まることになった。

NewYorkに来た目的の一つに、友人知人のReggae界の重鎮のお使いもあった。

友人がそのお使いを済ませ、食事も買ってホテルに戻り、一段落。

まぁ、いかにもブルックリンって感じの、赤レンガのホテルだった。

20畳位の1ルームにキングサイズのベッドが、どーんと置いてある雰囲気ある部屋。

一つのベッドに20歳の男3人。「んー…十分寝れるね!」「Ok!」みたいなノリだった😁

【そしてJamaicaへ】

NewYorkではセントラルパークへ行ったり、フルトンモールで買い物を楽しんだ。

本当はこの記事に、宿泊しているホテルでの、日本ではあまり経験しないであろう

エピソードを紹介したいのだが、このブログ内では辞めておこう。

いつの日か機会があれば、話すこともあるかもしれない😁

ということでお話はNewYorkからJamaicaへと移っていく。

Jamaicaでの話は次回ということで、

次回をお楽しみに!!

Jamaicaは僕が思っている以上の国だった…

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